福島のお話をする前にこの日が来てしまいました。
今日は、以前少しお話した我が家の”森の王様”の命日です。
私が5歳のときに家族になった森の王様も、
当時はこんなに小さかった。
ピンクの鼻をヒクヒクさせながらフラフラ放浪していたおちびさん。
ぎゃあぎゃあ外で遊んでいた私と姉たちと近所の子供たち。
会社で仕事中だった父は飼うのに反対。
しかし、「犬も飼えない家なんてっ!!」と電話越しに噛みついた母のおかげで、
父もこのおちびを飼うことを許してくれ、
私たちはこの素晴らしい犬とたくさんの思い出をつくることができ、
生き物に対する愛情をも、もつことができた。
ハルキチと名付けられた彼はとんでもないいたずらっ子で、
体もだいぶ大きくなってきた頃、
私が通う近くの幼稚園の園庭に入り込んで疾走。
帰りの時間で全園児が園庭に出ていて、
泣きわめく園児やおもしろがって叫ぶ園児で一時騒然。
私と母は顔を真っ赤にしながら追っかけまわすも追い付けず、
ハルキチはまるでアッカンベーをするように走りまくる。
とにかくビュンビュン走りまくる姿を私は今でもよく覚えている。
でも最後は、幼稚園の先生が持ってきてくれたチーズおかきで
あえなく確保。ただの食いしん坊万歳。
脱走の天才でもあった彼は小さいころからしょっちゅう家出。
見知らぬサンダルが庭に転がっていることもよくあったらしく、
母はそれを慌てて回収し、そっと捨てていたという。
きっと近所では「サンダル紛失の怪」が多発していたことだろう。
彼はふらりと小学校に遊びにきたこともあったし、
鎖ごと家を出た時は道路の側溝に鎖がからまり、
身動きとれずにいたところを近所の人に助けられ、
一晩泊めてもらったこともあった。
脱走後すぐに見つけ、こちらがジリジリ近づいていくと、
距離を測りながら後ずさりし、
ッシャ―――!!とまた逃げるときもあれば、
ヘコヘコしながら「あいすんません、あいすんません」とばかりに
こちらのご機嫌をとろうと試みることもあった。
それでおとなしく家に帰ってきたと思ったら、
その足で裏口からヘラヘラ出ていこうとしたり・・・。
そのときは「キ――――――ッ!!!」とまぁ、
なんだかこちらが遊ばれているような感じで腹立たしかったものだ。
こんなに脱走を繰り返すのは、彼が単にアクティブ犬だっただけなんです。
朝日新聞のののちゃんに出てくるポチのように、
散歩嫌いのインドア派の犬も世の中にはいるのは確かなんですが、
(昔近所のアパートに住んでいた犬は、飼い主が外に連れ出しても、
ジッッッと微動だにしなかった・・・。)
我がハルキチは散歩用のリードをちょっと持っただけで大騒ぎ。
庭中を駆け回り、早く門を開けやがれ~~~と助走をつけまくる。
で、開けたとたんダ――――ッシュ。
ゴミの日は大変。手にしたゴミ袋がハルキチとともに吹っ飛んでいく。
ある日私は調子に乗ってハルキチと一緒に駆け出して捻挫。
これはただのばか。
散歩から帰ってこれずに学校に遅刻しそうになったことも・・・。
すでに登校を始めている友達に、
「学校行かないの~~~?」と言われたときの恥ずかしさたるや。
「行くよっ!!!」と顔を真っ赤にした小学生の私。
ズリズリズリズリはるきちを引っ張ってくることなんて当たり前だった。
いつも同じ場所で途端に足取りが重くなって、そこに根を生やす。
どんなにこっちが引っ張ろうとしても、
それこそジッッッ・・・・・として動かず、
目だけはこちらにジロッ・・・と動かす。
勘弁してくれ~~~と涙目になるのはいつもこっちだった。
でもそのうち抱っこされるのが大嫌いというハルキチの弱点をついて、
わざと抱っこしようとしてハルキチを振り回して帰宅させることもあった。
傍から見ればなんとも滑稽なヒトとイヌだったろう・・・。
あー疲れた。
こんな具合に、とにかく彼の話になると尽きることがない。
まだまだ逸話は残っているけれど、ホントに書ききれない。
今日話したことだって、かなりかいつまんでいるし。
そんなハルキチも大人になるにつれて落ち着きさが出て、
堂々と深みのある、貫禄たっぷりの犬になり、
(そこでまた色々笑える話がたくさんあるのだけど割愛。
とてもじゃないけど割愛。目・肩・腰が限界。)
そしていつのまにかおじいちゃんになっていた。
亡くなる1年ほど前から足腰が弱り、私の介護生活も始まった。
あんなに元気だったのに、
どんどん痩せて小さくなり、体は軽くなっていった。
毎晩隣で一緒に寝て、夜中の徘徊にも手を貸し、
徘徊もできなくなると、床ずれができないように定期的に体の向きを変えてやり、
母と体をさすってあげたし、話しかけたり、音楽を聴いたり・・・・・
自分にできることはやったつもりなのに、
あとからあとからもっと何かしてあげられたんじゃないかとか、
もっとこうしてあげればよかったとか、
後悔の気持が溢れてくる。
これを書く今も、涙がとまらない。
18年間、いつも一緒だった。大事な家族だった。
母に怒られて泣く私の顔を、ずっとそばでぺろぺろ舐めて慰めてくれたこともあった。
最後の晩、足をさすってあげてたら春吉が私をじーーーっと見つめていた。
もうほとんど見えていないはずなのに、まるで見えているかのように見つめていた。
そしてそのうち小さな寝息を立てながら眠ったので、私は部屋の電気を消した。
いつものように、おやすみ春さんと声をかけてから。
それが最後の晩だった。
春吉を介護していた頃、夜になると一緒に聴いていたピアノ曲のCDを、
6年経った今も聴けないでいる。
私が気に入っていたこのCDを、いつかまた聴ける日は来るのだろうか。
今まで、一日たりともハルキチのことを忘れたことはない。
6年という年月が長いのか、短いのか、それすらもよくわからないでいる。
春吉は私の心の中にいて、いつも支えてくれているから。
「人は、亡くなった人に支えられて生きている」
私は今日も手を合わせて、守り神に語りかける。
今日も一日をありがとう。
そばで見守ってくれて、ありがとう。
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