春です。
最後の文章が去年の11月。
あれから5カ月、いろいろありました。
本当なら福島での生活をいろいろと載せたかったのですが、
先月に起きた大震災と原発事故で、
これからの予定を変更せざるを得なくなりまして、
また埼玉で新しい一歩を踏み出したところです。
あの震災さえなければと思う人はたくさんいると思います。
でも不可抗力である自然が相手では、怒りの矛先さえありません。
今も不自由な生活を余儀なくされている方を思うと、言葉もありません。
新聞やテレビ、ラジオなどのメディアを通してその惨状を見聞きし、
ただただ涙をこぼす毎日です。
思えば震災前には中東で民主化デモが起き始め(今も続いていますね)、
そしてテレビで「戦場のピアニスト」を見たということもあって、
そのときの私は”生きるとは何だろう”と思いつめているところがありました。
地球という同じ場所に生まれてきたのに、
その時代や国、いろんな環境・状況で、こんなにも人生が変わってしまう。
自分はどうして生きているんだろう、何のために生かされているんだろう。
生きるとは・・・
そして3月11日。
この日を境に改めて思うのは、生きるとは無常ということ。
いつ何が起き、何を失くし、何が変わっていくのかわからない世を、
自らも変わり、命の続く限り、渡っていくということ。
「慣れ」という敵のせいで、なかなか難しいこともありますが、
毎日をよく生きよう、そう思います。
だからといって、しっかりきっちり、という息苦しいものではなく、
一瞬でも笑顔になれる瞬間があればいいなと思います。
今日こんな言葉を聞きました。
「もし明日が地球最後の日だとしても、私は今日花の種を蒔きます」
どんなにつらく、苦しくても、終わらないものなんてない。
ただ前を向いて歩くのみ。
謙虚だけど、凛とした東北の人のひたむきな姿が心に浮かびました。
すでに舞い始めた桜の花が、空の上からも見えることを祈ります。
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