2011年3月11日午後2時46分。
あの日私は福島にいて、焼き菓子用の型や道具の片付けの最中で、
家族とお茶を飲んで一息つき、
さあもうひとふんばり頑張るかと、土間におりたところだった。
一昨日の朝にも大きめの地震が3回ほどあったので、
そのときも揺れ始めたときはすぐおさまると思って、
がたがた音をたてる棚を手でおさえたら、
かなり大きく揺れだしたので、慌ててテーブルの下にもぐり込んだ。
窓ガラスがバリバリ音を立て、
家がミシミシと軋むなか、
その大きくて重いテーブルが左右に大きく揺れるのを、
手で必死に押さた。
ガラス戸越しに、
父がストーブを消す姿が見えたが、
それっきりみんなのようすがわからず、
恐怖に陥り混乱していたら、
ガラッと引き戸が開き、姉が「外出るよ!!」と叫んだ。
はっとして、そのまま何も持たず外に飛び出し、
雪解けでぬかるんだ地面に足をとられながらも振り返ると、
築何十年の古民家が、
ひし形にならんばかりに、右に左にと大きく揺れ、
背後にそびえる木々、山までもがゴオオオオとも何とも言いようのない、
異様な音をたてて揺さぶられ、
鳥が飛び、煙がたち、
近所の土蔵の壁が崩れ落ちていき、
停めてある車が上下に跳ね、
このまま底が抜けてしまうのではないかというくらい、
地面がうごめいていた。
まだ私が家の中にいると勘違いした母が、
家に向かって私の名前を叫び続けていたので駆け寄り、
スリッパのまま飛び出してきた父の服を握り締めた。
近所のおじさんがこっちに向かって何か叫んでいるのに、
すべてが異様なうなり声をあげていて、
何を言っているのか聞こえない。
ただもう、父にしがみついて、揺さぶられるがまま、呆然と家を眺めていた。
祈るようにというのはこういうことかと、そのとき初めてわかった。
まだ雪がちらつく、寒い日だった。
かやぶきの屋根からバラバラとかやが落ち、
壁や柱には亀裂が入り、ゆがんで扉はひけず、
家の外には地割れ。
夕方まで片付けに追われ、
たびたびの大きな余震でその度に外に逃げる。
残り物で夕飯をとっていた最中も、逃げ惑った。
ニュースで次々と明らかになる被害の大きさに絶句。
1分おきにくる地響きの度に焦り、夜も余震で眠れなかった。
翌日、福島原発の炉心溶融。
家族会議で埼玉に帰ることに決まる。
電話もネットもつながらなかったけど、
一度だけ奇跡的につながった携帯に、
一気に友たちからのメールや着信履歴が届き、嬉しかった。
そのまた翌日、約10時間かけて埼玉へ。
放射能の心配のなか、本当に必要なものだけを手に。
近所の人に挨拶もできないまま、
自分たちだけ福島を出て行くことが、
本当に心苦しかった。
自分たちだけ福島を出て行くことが、
本当に心苦しかった。
スーパー・コンビニ・ガソリンスタンド。
ものすごい人の数に、異様な空気。
張り詰めた表情の人、みんな何か重いものを背に、
ただ黙々と動いている。
避難する車と、物資を詰め込んだ車でごった返す、
断裂の入った道路。
埼玉に着いて、イライラした。
平和すぎた。
福島とのギャップについていけなかった。
地響きの幻聴、揺れもしないのに揺れを感じる。
通じるようになった携帯。
メールをくれるのはありがたいけど、
何か心が通じない、伝わらない。
白紙になったこの先をも悲観して、
うつうつと、いらいらしながら、毎日を過ごしていた。
白紙になったこの先をも悲観して、
うつうつと、いらいらしながら、毎日を過ごしていた。
しかし2週間後、様子をみに福島へ戻って、はっとした。
みんな、すべてを飲み込んで、それでも前に進もうとしていた。
たくさんの自衛隊の車、各地からの救援隊員の人々、
いろんな地域のナンバー車。
被害が少なかったのに、立ち止まってしまっていた自分を恥じた。
みんな、すべてを飲み込んで、それでも前に進もうとしていた。
たくさんの自衛隊の車、各地からの救援隊員の人々、
いろんな地域のナンバー車。
被害が少なかったのに、立ち止まってしまっていた自分を恥じた。
大変なことは起きたけれど、それでもときは流れている。
私も前に進まなければ。
変わらず流れるときのなかで、
自分を変えていき、
ときが流れて変わっていくなかで、
変わらぬ何かを築いていく。
私も前に進まなければ。
変わらず流れるときのなかで、
自分を変えていき、
ときが流れて変わっていくなかで、
変わらぬ何かを築いていく。
みんな、生きているからこそ。
と、ここまで書いても、
すべての言葉が空々しく、
きれい事のように聞こえてしまうけれど、
それはまだきっと、2年経った今でも、
あの日のこと、それからのことを、
自分のなかで消化しきれていないからなんだろうと思う。
考えがまとまらない、というか、
思いをうまく言葉にできないというか、
とにかく、まだまだ、もどかしくてならない。
気持ちのやり場がみつからない。
毎年この日は、こんな気持ちになるんだと思う。
これからも。
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