2013年3月15日金曜日

感謝

仕事場に、ボランティアを終えたメンバーの感想と、
自分の思いを書いた紙を貼り出した。
 
一人や二人、何かしら感じてくれたらと思っていたら、
それぞれの思うところと通じるものがあったようで、
「考えさせられた」「改めて被災地、被災者の方を思った」
「自分たちにできることを、どんな小さなことでもやろうと思った」
「考える良いきっかけになった」「ありがとう」
と、たくさんの言葉をいただいた。
 
素直に嬉しかったし、細々とでも、
これが今の私にできることのひとつだから、
自分の意見や思いを、怖がらずに発信していこうと
勇気をもらえた。
 
更新も少なく、つたない言葉、英語にも関わらず、
毎回必ず世界からのアクセスがあって、
それも大きな励みになっている。
本当に、ありがとう。
 
迷い、悩むことも多いけれど、
物事をよく見て、読み、話し、聴き、
考え、感じ、受けとめ、
一人の人として、
毎日一歩ずつ、歩んでいこうと思う。
 
生きているかぎり、年齢に関わらず、
それぞれにできることは必ずあるはずだから、
それは何かを見つけ出し、続けていくこと。
それを大切にしようと思う。
 
 
 
それにしても、人は見かけで決め付けてはいけないなと、
改めて思う。
みんな素振りは見せなくても、言葉に出さなくても、
その胸の内でいろんな思いを抱えている。
その思いを、ぽつりぽつりと、
不器用ながらも語ってくれると、
どこか深いところでまたつながりをもてた気がする。
 
思いを語ってくれた仲間に、ありがとう。
福島に関心をもってくれるみんなに、ありがとう。
 
 
 


2013年3月11日月曜日

2年

2011年3月11日午後2時46分。
 
あの日私は福島にいて、焼き菓子用の型や道具の片付けの最中で、
家族とお茶を飲んで一息つき、
さあもうひとふんばり頑張るかと、土間におりたところだった。
 
一昨日の朝にも大きめの地震が3回ほどあったので、
そのときも揺れ始めたときはすぐおさまると思って、
がたがた音をたてる棚を手でおさえたら、
かなり大きく揺れだしたので、慌ててテーブルの下にもぐり込んだ。
窓ガラスがバリバリ音を立て、
家がミシミシと軋むなか、
その大きくて重いテーブルが左右に大きく揺れるのを、
手で必死に押さた。
ガラス戸越しに、
父がストーブを消す姿が見えたが、
それっきりみんなのようすがわからず、
恐怖に陥り混乱していたら、
ガラッと引き戸が開き、姉が「外出るよ!!」と叫んだ。
はっとして、そのまま何も持たず外に飛び出し、
雪解けでぬかるんだ地面に足をとられながらも振り返ると、
築何十年の古民家が、
ひし形にならんばかりに、右に左にと大きく揺れ、
背後にそびえる木々、山までもがゴオオオオとも何とも言いようのない、
異様な音をたてて揺さぶられ、
鳥が飛び、煙がたち、
近所の土蔵の壁が崩れ落ちていき、
停めてある車が上下に跳ね、
このまま底が抜けてしまうのではないかというくらい、
地面がうごめいていた。
 
まだ私が家の中にいると勘違いした母が、
家に向かって私の名前を叫び続けていたので駆け寄り、
スリッパのまま飛び出してきた父の服を握り締めた。
 
 
近所のおじさんがこっちに向かって何か叫んでいるのに、
すべてが異様なうなり声をあげていて、
何を言っているのか聞こえない。
 
ただもう、父にしがみついて、揺さぶられるがまま、呆然と家を眺めていた。
祈るようにというのはこういうことかと、そのとき初めてわかった。
 
まだ雪がちらつく、寒い日だった。
 
 
かやぶきの屋根からバラバラとかやが落ち、
壁や柱には亀裂が入り、ゆがんで扉はひけず、
家の外には地割れ。
夕方まで片付けに追われ、
たびたびの大きな余震でその度に外に逃げる。
残り物で夕飯をとっていた最中も、逃げ惑った。
 
ニュースで次々と明らかになる被害の大きさに絶句。
1分おきにくる地響きの度に焦り、夜も余震で眠れなかった。
 
 
翌日、福島原発の炉心溶融。
家族会議で埼玉に帰ることに決まる。
電話もネットもつながらなかったけど、
一度だけ奇跡的につながった携帯に、
一気に友たちからのメールや着信履歴が届き、嬉しかった。
 
そのまた翌日、約10時間かけて埼玉へ。
放射能の心配のなか、本当に必要なものだけを手に。
近所の人に挨拶もできないまま、
自分たちだけ福島を出て行くことが、
本当に心苦しかった。
 
 
スーパー・コンビニ・ガソリンスタンド。
ものすごい人の数に、異様な空気。
張り詰めた表情の人、みんな何か重いものを背に、
ただ黙々と動いている。
避難する車と、物資を詰め込んだ車でごった返す、
断裂の入った道路。
 
 
埼玉に着いて、イライラした。
平和すぎた。
福島とのギャップについていけなかった。
地響きの幻聴、揺れもしないのに揺れを感じる。
 
通じるようになった携帯。
メールをくれるのはありがたいけど、
何か心が通じない、伝わらない。
白紙になったこの先をも悲観して、
うつうつと、いらいらしながら、毎日を過ごしていた。

 
しかし2週間後、様子をみに福島へ戻って、はっとした。
みんな、すべてを飲み込んで、それでも前に進もうとしていた。
たくさんの自衛隊の車、各地からの救援隊員の人々、
いろんな地域のナンバー車。
被害が少なかったのに、立ち止まってしまっていた自分を恥じた。 
大変なことは起きたけれど、それでもときは流れている。
私も前に進まなければ。



変わらず流れるときのなかで、
自分を変えていき、
ときが流れて変わっていくなかで、
変わらぬ何かを築いていく。
 

みんな、生きているからこそ。






と、ここまで書いても、
すべての言葉が空々しく、
きれい事のように聞こえてしまうけれど、

それはまだきっと、2年経った今でも、
あの日のこと、それからのことを、
自分のなかで消化しきれていないからなんだろうと思う。

考えがまとまらない、というか、
思いをうまく言葉にできないというか、

とにかく、まだまだ、もどかしくてならない。
気持ちのやり場がみつからない。

毎年この日は、こんな気持ちになるんだと思う。
これからも。


2 years

2 years have passed since then.
We go back to normal life,
but the reconstruction of  Tohoku is not progress.
 
 
I did volunteer work again, at the former Kisai high-school.
The number of people who took refuge from Fukushima
has decreased significantly in the last 1 year.
There are no children, but a few elderly person still live
in the school building.
 
 
They smile.
But I feel the mood of resignation behind their smile
that they can never get back to normal life.
They are too tired and too old
to have a hope, even a slight one.
 
 
The government shatered their hope saying that
the nuclear power plants will be in re-operation 
to try to revive the Japanese economy.
 
 
What is the reconstruction?
Who must they really protect?
 
The governers should think of it standing before
the Fukushima nuclear power plants.
 
 
My angry and sadness can change nothing,
but I believe that some people around the world
read this, feel somthing,
and do not forget our Fukushima.  
 
 
 
 
 

2013年1月29日火曜日

Trip to Iwate Part1~ Morioka City ~ Kenji Miyazawa

 
 
Trip to Iwate
11.5~7.2012
 
 
 
Mt.Iwate
 
 
 
 
Arrived at Morioka.
This city is known for its associations with Miyazawa Kenji.
The monument of his work " Gaushe the Cellist ".
There are other monuments on a street in this city.
He is one of my favorite writers.
 
 
 
 
 
His famous poem "I will not give in to the rain"
(Ame ni mo Makezu)
 
 
 
"I will not give in to the rain.
I will not give in to the wind.
I will have a healthy body
that won't give in to the snow
or to summer's heat.
I will not have a desire.
I will not get angry.
I will always be smiling quietly. 
..........
 
In everything,
I will not count myself.
I will look, listen and understand well,
and I won't forget.
..........
 
When there is a drought,
I will shed tears,
When the summer is cold,
I will walk around helplessly.
 
I will be called useless by everyone.
I will not be praised or thought a pain.
 
This is the person
I want to be."
 
 
 
 
 
"This is a poem that most Japanese people know by heart,
and has given them courage
through many terrible periods of adversity,
like those now afflicting the Tohoku region."
 
 
 

2013年1月26日土曜日

1月 January

 
しばらくパソコンがどうも調子悪く、
いろいろ更新したかったことがもうはるか昔のことになってしまいました。
 
新しい年になって、1月ももうすぐ終わりますね。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
去年は念願の岩手旅行へ行き、
先日はまた旧騎西高校へボランティアに行ってまいりました。
 
相変わらずいろいろと考えさせられることの多い毎日を送っています。
 
今年はどんな一年になるでしょうか。
 
すべては自分次第。
毎日を大切に、丁寧に、穏やかに。
 
そして、陽のあたる方を向いて歩いていきたいと思います。
 
 
 
 
 
Hello.
I'm sorry to have kept you waiting.
My PC didn't work well and I couldn't write new blog.
 
How is your new year?
Enjoy? Good.
 
I want to tell you many things about my trip to Iwate
and volunteer work at Kisai high-school.
Someday I will. Maybe...sorry.
 
Have a wonderful and fruitful year!
See you soon.
 
 
P.S.  I will brush up my English.
 
 

2012年10月18日木曜日

Re-paint 屋根の塗り替え

 
How do you do?
Long time no see.
 
お久しぶりです。
お元気ですか?
 
***
 
The season changed to autumn and I heard that
it has been already cold in Fukushima.
The time has passed and we have 2nd fall from the disaster.
 
季節は秋にかわり、福島はすでに寒いそうです。
時は経ち、震災から二度目の秋を迎えています。
 
 
 
 
pictured by my mother
 
 
 
 
***
 
 
A burnet which my mother loves.
And this picture was also took by her.
 
夏の終わりの吾亦紅、母の好きな花。
この写真も、母が撮影。
 
 
 
 
 
 
My father.
He drops rust on the tin
over a straw-thatched roof to re-paint it.
 
We said that we'd better to ask to a contracter
because it's very dangerous working on the top of the roof.
But he does it by himself.
Maybe it's his pride that he worked at a construction industry
before his retire.
 
Now this step dropping a rust was done
and my father re-paints the roof.
The colour is deep green mother chose.
 
 
 
父。
屋根のペンキを塗り替えるために、
藁葺き屋根を覆うトタンの錆を落としています。
 
屋根の上での作業は危険なので、
業者に頼むよう言ったのですが、
父は自分でやり始めました。
定年まで建設業で働いていた誇りがあるのでしょう。
 
今はこの錆落としの段階は終わり、
屋根の塗り替えに入っています。
色は深緑。母のチョイス。
 
 
 
 
 
 
 
 
Whole aspect.
I'm sorry it's very difficult to see this pic.
Please take care not to be hurt your neck.
 
 
これが全貌。
見づらくてごめんなさい。
首を痛めないように・・・。
 
 
 
all pictures by mother
 


2012年9月14日金曜日

1000!!

毎度閲覧していただきありがとうございます。
知らないあいだに1000人を超えていました。
1000人目は身内で驚きました(笑)
しかもコメントの仕方がイマイチわかりにくいようで、
繰り返すうちに1002人までいってしまったとか・・・。
おもしろいです。
 
 
更新も大してせず、
ものすごくいい加減なブログにも関わらず、
世界各国(特に日本・アメリカ・ドイツ)から
コンスタントに見てくれていること、
とても嬉しく思っています。
恥ずかしげもなく拙い英語を使っていますが、
届いているのかな。
 
 
自己満足的なブログですが、
みなさんが来てくれているという証のカウントを励みに、
これからも細々と続けていこうと思います。
 
 
もうすぐ秋だし、
涼しくなったらもう少し更新回数を増やせたらいいのですが。
福島古民家訪問記はもちろん、
日々思うことをつぶやきではなく、
ちゃんと、しっかりと。
 
 
つぶやきもそうですが、
こうして書くことで自分の頭の中を整理できるのがいいんですよね。
うん、やはり続けましょう、頑張りましょう。
 
 
みなさま、本当にありがとう。
 
 
 
 
 
Finally the count number gets to 1000!!
Thank you sooooo much, everyone.
I'm really glad and think that
this blog has to be kept going.
Yes, I will keep writing about
Fukushima, of course, and my opinion
what I feel in my daily life.
 
I don't know where you are in this world.
But you always check this blog somewhere around the world.
So, I write.
 
Big big thanks to you all!!
(to read my funny english! haha!)
 
Never give up.