先週の金曜日に、旧騎西高校へボランティアに行ってきました。
私が働くスタバと同じエリア内にある店舗が協力して、
避難されている双葉町の方にホットコーヒーの差し入れをしてきました。
以前さいたまスーパーアリーナでも、アリーナ近くの店舗の方が
コーヒーをふるまってくれたとのことで、
多くの方が「また来てくれたんですね!」と喜んでくれました。
避難生活中ということで、どう接したらいいのだろうかとか、
直前までいろいろ考えてしまいましたが、
実際行ってみるとみなさんのとても元気な姿がたくさん見られたので、
いつもの通り、スタバの店員としての応対ができました。
寒い日だったこともあって、本当にたくさんの方がコーヒーを求めて集まってくださり、
用意した分があっという間になくなってしまい、
急遽一番近い店舗からコーヒーを追加で淹れて運び入れるほどでした。
おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんはもちろん、
若夫婦、中高生、小学生まで、とにかく老若男女問わず、
みんなが温かいコーヒーを手に、ニコニコと笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。
避難所とはいえ、そのあたたかい満面の笑みがあるためか、
暗く寂しい印象はまるで感じられませんでした。
「缶コーヒーばっかりだったから、やっぱりちゃんと淹れたコーヒーはうまいね!」
「もう一杯ちょーだい!」
「あ~温まったよ~。ごちそうさま!」
「もうちょっとお砂糖・・・あ、甘くなった、おいしい。」
「お父さんとお母さんの分ももらっていいですか?」
でもその笑顔の裏には、つらく悔しい思いが秘められていると思うと胸が張り裂けそうになり、
必死で笑顔を返しては、何杯も何杯もコーヒーをカップに注いでました。
たった何時間かの作業で、私ができたことといえばほんのわずかだったに違いありません。
それでも、一杯のコーヒーを通して少しでも心に温かさを感じていただけたならと思うし、
私自身、たくさんの笑顔に出会えたことが本当に嬉しかったですし、
その一人ひとりの笑顔を思い出しては、今でもその身を案じながら、今日もお店に立っています。
原発という自分たちにはどうしようもないことだからこそ、胸の内に広がる不安や怒りは
果てしないものだと思います。
その思いが早く晴れることを祈ってやみません。
今回のボランティアに参加して、笑顔のもつものすごい力を改めて感じました。
笑顔ひとつでこんなにも雰囲気は変わるし、人も変われるんですね。
高速にあるお店には、ほぼ毎日のように救援の消防隊員の方や、
自衛隊の方がいらっしゃいます。
その方たちを支えるためにも、私たち店員はいつでも笑顔で迎えています。
会話をして笑顔になり、ドリンクを受け取ってさらに笑顔になってくれると、
あ~今日も少しは役に立てたかな・・・と、自分で自分の再確認をしてしまいます。
人はだれでも必ず誰かのためになっている。
人と人との絆って、そういうことでもあるんでしょうね、きっと。
April,22
I did volunteer work in former Kisai high school for people who evacuated from Futaba-machi, Fukushima.
As a member of Starbucks Coffee Japan, we treated them to hot coffee. It was a very cold day so they seemed to be really happy to drink hot one. Men and women of all ages enjoyed our coffee, and I was glad to see that.
I think that there are sad, angry, disappointed feeling of bottom of their hearts. But they've never showed it to us. They were smiling, laughing all the time. I was really surprised and felt my heart warming. I'm sure that they are the one who should be respected.
This volunteer work gave me some power of smile. Just smile, we can change the atmosphere, someone's feeling, and also ourselves. Just smile...
Life is beautiful but it's very short. So I want to enjoy my life, just doing what I want to, and, just looking on the bright side. 人生は素晴らしい。でも短いもの。だからこそ私は楽しく人生を過ごしたい。ただしたいことをして、明るい方だけを見て・・・。
2011年4月27日水曜日
2011年4月14日木曜日
春の祈り
春です。
最後の文章が去年の11月。
あれから5カ月、いろいろありました。
本当なら福島での生活をいろいろと載せたかったのですが、
先月に起きた大震災と原発事故で、
これからの予定を変更せざるを得なくなりまして、
また埼玉で新しい一歩を踏み出したところです。
あの震災さえなければと思う人はたくさんいると思います。
でも不可抗力である自然が相手では、怒りの矛先さえありません。
今も不自由な生活を余儀なくされている方を思うと、言葉もありません。
新聞やテレビ、ラジオなどのメディアを通してその惨状を見聞きし、
ただただ涙をこぼす毎日です。
思えば震災前には中東で民主化デモが起き始め(今も続いていますね)、
そしてテレビで「戦場のピアニスト」を見たということもあって、
そのときの私は”生きるとは何だろう”と思いつめているところがありました。
地球という同じ場所に生まれてきたのに、
その時代や国、いろんな環境・状況で、こんなにも人生が変わってしまう。
自分はどうして生きているんだろう、何のために生かされているんだろう。
生きるとは・・・
そして3月11日。
この日を境に改めて思うのは、生きるとは無常ということ。
いつ何が起き、何を失くし、何が変わっていくのかわからない世を、
自らも変わり、命の続く限り、渡っていくということ。
「慣れ」という敵のせいで、なかなか難しいこともありますが、
毎日をよく生きよう、そう思います。
だからといって、しっかりきっちり、という息苦しいものではなく、
一瞬でも笑顔になれる瞬間があればいいなと思います。
今日こんな言葉を聞きました。
「もし明日が地球最後の日だとしても、私は今日花の種を蒔きます」
どんなにつらく、苦しくても、終わらないものなんてない。
ただ前を向いて歩くのみ。
謙虚だけど、凛とした東北の人のひたむきな姿が心に浮かびました。
すでに舞い始めた桜の花が、空の上からも見えることを祈ります。
最後の文章が去年の11月。
あれから5カ月、いろいろありました。
本当なら福島での生活をいろいろと載せたかったのですが、
先月に起きた大震災と原発事故で、
これからの予定を変更せざるを得なくなりまして、
また埼玉で新しい一歩を踏み出したところです。
あの震災さえなければと思う人はたくさんいると思います。
でも不可抗力である自然が相手では、怒りの矛先さえありません。
今も不自由な生活を余儀なくされている方を思うと、言葉もありません。
新聞やテレビ、ラジオなどのメディアを通してその惨状を見聞きし、
ただただ涙をこぼす毎日です。
思えば震災前には中東で民主化デモが起き始め(今も続いていますね)、
そしてテレビで「戦場のピアニスト」を見たということもあって、
そのときの私は”生きるとは何だろう”と思いつめているところがありました。
地球という同じ場所に生まれてきたのに、
その時代や国、いろんな環境・状況で、こんなにも人生が変わってしまう。
自分はどうして生きているんだろう、何のために生かされているんだろう。
生きるとは・・・
そして3月11日。
この日を境に改めて思うのは、生きるとは無常ということ。
いつ何が起き、何を失くし、何が変わっていくのかわからない世を、
自らも変わり、命の続く限り、渡っていくということ。
「慣れ」という敵のせいで、なかなか難しいこともありますが、
毎日をよく生きよう、そう思います。
だからといって、しっかりきっちり、という息苦しいものではなく、
一瞬でも笑顔になれる瞬間があればいいなと思います。
今日こんな言葉を聞きました。
「もし明日が地球最後の日だとしても、私は今日花の種を蒔きます」
どんなにつらく、苦しくても、終わらないものなんてない。
ただ前を向いて歩くのみ。
謙虚だけど、凛とした東北の人のひたむきな姿が心に浮かびました。
すでに舞い始めた桜の花が、空の上からも見えることを祈ります。
2010年11月24日水曜日
レッツ☆シンプル
ずいぶん前に焼いたピザ。
そろそろまた食べたくなってきたな~、焼こうかな~。
でも生きている間に本場のピッツァを食べてみたい。あとジェラート。
ん~パスタもエスプレッソもティラミスも。
いやぁ欲深い。実に欲深い。
でもイタリアイッタラ、イタリア行ったら、食べなきゃ損でしょう。
それはイタリアに限らずどこへ行っても、私のテーマは食であります。
いつからこんなに食欲旺盛になったのでしょうか。
まだ小学生の自分は、ケーキ一個すら食べられなかったのに。
ケーキを食べると、舌の裏側が「うっっっ、うえーーー」っとなってしまうんです。
これ、この気持ち悪さはなかなか理解してもらえないのですが・・・。
とにかく舌の裏側が気持ち悪くなるのですよ。
でもいつのころかまっっったく平気になってしまいました。
だから今では、少しでも気を許せばぼってりと太ります。
毎晩マイケル・ジャクソンの曲に合わせて腹筋をする毎日です・・・せめてもの罪滅ぼしに。
パンやお菓子を焼くのが大好きなものだから、
ちょっと健康に気をつかって、最近の食事では和食の出番を増やしています。
昔、整骨医院の先生に「リウマチの気があるから風邪に気をつけてね~」
と言われたことがありまして、四半世紀以上生きてきたし、
そろそろ真剣に自分の健康を気遣ってあげなければと思いまして。
それに、すぐ上の姉のアトピーが、
日々の生活習慣を見直したことでみるみるうちに改善されたのを
目の当たりにしたのも大きな理由。
結局規則正しい生活をしていれば、大病は避けられるんですよね。
早寝早起き、バランスのとれた食事、運動。
そして体を冷やさないこと。
最近、体温を上げると免疫力が上がるという話も聞きます。
冷えは万病のもと。本当にその通り。
スタバで働いていたときは、
寒い冬にミニスカート、おなかもちらちら見えた格好で、
「○○○フラペチーノのぉ~、グランデェ~」と注文するばか者、
もとい、若者にゾッ・・・・・としたものです。
この子の体、将来はクシャクシャボロボロやぁぁぁっっっ!!!!と。
ほんと、冷えを治すと驚くほど快調ですよ。
和食で体をいたわり、運動(または買い物♪)でストレスを発散させ、睡眠で肌を再生させる。
今目指すは、そんな生活です。
でも大好きな食べ物を我慢するのは、それまたストレスにつながるので、
食べ方に気をつけていただく。
ストレスって本当に体に悪いんですよ!!本当に!!
生活もシンプルにすれば健康・美容・精神的に大満足。
自分の生活も事業仕分け。(レーーーーンホ――――ウ!!!)
さ、頑張ります。いや、楽しみます。
そろそろまた食べたくなってきたな~、焼こうかな~。
でも生きている間に本場のピッツァを食べてみたい。あとジェラート。
ん~パスタもエスプレッソもティラミスも。
いやぁ欲深い。実に欲深い。
でもイタリアイッタラ、イタリア行ったら、食べなきゃ損でしょう。
それはイタリアに限らずどこへ行っても、私のテーマは食であります。
いつからこんなに食欲旺盛になったのでしょうか。
まだ小学生の自分は、ケーキ一個すら食べられなかったのに。
ケーキを食べると、舌の裏側が「うっっっ、うえーーー」っとなってしまうんです。
これ、この気持ち悪さはなかなか理解してもらえないのですが・・・。
とにかく舌の裏側が気持ち悪くなるのですよ。
でもいつのころかまっっったく平気になってしまいました。
だから今では、少しでも気を許せばぼってりと太ります。
毎晩マイケル・ジャクソンの曲に合わせて腹筋をする毎日です・・・せめてもの罪滅ぼしに。
パンやお菓子を焼くのが大好きなものだから、
ちょっと健康に気をつかって、最近の食事では和食の出番を増やしています。
昔、整骨医院の先生に「リウマチの気があるから風邪に気をつけてね~」
と言われたことがありまして、四半世紀以上生きてきたし、
そろそろ真剣に自分の健康を気遣ってあげなければと思いまして。
それに、すぐ上の姉のアトピーが、
日々の生活習慣を見直したことでみるみるうちに改善されたのを
目の当たりにしたのも大きな理由。
結局規則正しい生活をしていれば、大病は避けられるんですよね。
早寝早起き、バランスのとれた食事、運動。
そして体を冷やさないこと。
最近、体温を上げると免疫力が上がるという話も聞きます。
冷えは万病のもと。本当にその通り。
スタバで働いていたときは、
寒い冬にミニスカート、おなかもちらちら見えた格好で、
「○○○フラペチーノのぉ~、グランデェ~」と注文するばか者、
もとい、若者にゾッ・・・・・としたものです。
この子の体、将来はクシャクシャボロボロやぁぁぁっっっ!!!!と。
ほんと、冷えを治すと驚くほど快調ですよ。
和食で体をいたわり、運動(または買い物♪)でストレスを発散させ、睡眠で肌を再生させる。
今目指すは、そんな生活です。
でも大好きな食べ物を我慢するのは、それまたストレスにつながるので、
食べ方に気をつけていただく。
ストレスって本当に体に悪いんですよ!!本当に!!
生活もシンプルにすれば健康・美容・精神的に大満足。
自分の生活も事業仕分け。(レーーーーンホ――――ウ!!!)
さ、頑張ります。いや、楽しみます。
2010年11月12日金曜日
福島記・第二弾
一日24時間というのは全世界共通であって、今も地球上で刻々と時は刻まれています。
でもそんな時間も、その人その人の心の持ちようや、今いる状況・環境など、
色んなことが影響して、早く感じたり遅く感じたりするものですよね。
私の場合、さいたまにいるとあっという間に時間は経ち、
あ~今日も終わってしまった~と嘆くことが多いのですが、
なぜか福島に行くと時間がゆったりと過ぎていくように感じます。
きっと、さいたまにはない雄大な山・自然がそう感じさせてくれているのかもしれません。
その雄大な山に囲まれる中に、私の滞在する古民家はあります。
空は広く高く、とんびが悠々とその空を飛んでいます。
聞こえるものは風の音、鳥の鳴き声、
そしてたまに、近くの広場でゲートボールに興じるじいさんばあさんのキャーキャー言う声、
朝は7時から流れる町内放送(田舎の朝は早いんです・・・)。
(そうそう、町内放送といえばまたいくつか逸話があるんです。またの機会に・・・。)
いわき市に近いということもあり、
山の中ではあってもおいしい魚介類が手に入ります。
あ、ちなみに小野町というところです。小野小町の町。絶世の美女の町♪
で、さんまを焼きました。父が。焼いてくれました。
(プライバシー保護のため縮小写真で失礼。)
ちょっと炎上中。脂ののったおいしいさんまだったからね。とフォローしておきます。
いやでも本当においしいんです。七輪で焼くと、あの炭の香ばしさがたまりません。
そして土間でも・・・
こちらはまだ焼けていなくてあまり食欲をそそらない写真ですね・・・。
焼けると食べる仕事が忙しくて写真を撮る暇ないし。食いしん坊万歳。
お汁粉も七輪で作りました。
お餅は、この日とある野菜直売所で売られていたもので、
まだつきたてで柔かく、のびるのび~るお餅。
最高においしかったです。
今年父が初めて小豆を栽培。
甘さは控えめですが、ほくほくした粒の大きい小豆ができました。
また来年もよろしく。
こちらは食用菊。
裏に住む、ご近所の名物ばあちゃんが分けてくれた菊がたくさん花をつけ、
「もう採って早く食べないと~」とそのばあちゃんに言われて慌てて畑から採ってきたものの、
さてどうやって食べようか・・・と無知な私はとりあえず茹でて、
おひたしにでもしようと思ったのですが、
もう食べごろを過ぎてしまったようで、おいしく作ることができませんでした。
来年はおいしく食べられるように勉強せねば。
とまぁこんな風に結局食べ物の話になってしまいましたが、
福島に来るとこうしてのんびり食事を作ったり食べたりできて、
本当に嬉しい限りなんです。
さいたまで七輪・・・まぁ煙がひどくて苦情殺到ですよね。
なんとまぁ世知辛い世の中よ。
みんなでじっくりと七輪囲もうよ。
2010年11月7日日曜日
立冬の今日、思ったこと
立冬にしては暖かい。けど立冬です。
11月だというのに蚊がいます。
今年の猛暑後のこの穏やかな気候で、
蚊が元気いっぱい飛び回っているらしいです。
しかも年々大きくなっている気がします。おそろしい。
さっきなんか私の右手の親指の先にとまった・・・。
とんぼかっ。
毎晩蚊取り線香を焚いているので、
おかげで自分、線香臭いっす。
久しぶりの投稿です。
相変わらず友達からコメントできないよ~という声が。
なんでや~なんでや~。
でもまぁ、こんなしょうもないブログでも読んでくれていることが
私にとってはとても嬉しおす。
ありがとうみなさん。ダンケしぇーん。
福島紀行、つらつら書いていくので、
どうか、どうか、忘れないでいて。
結構文章書くのに時間がかかりすぎる嫌いがありまして・・・。
よーく吟味しながらなのでご勘弁くださいまし。
来月はバレエの発表会があり、今はその準備をしております。
今日も合同リハ。さすがにちょっぴりピリピリしてまいりました。
でも私は友情出演で出番が少ないので、お気楽ご気楽。
ちびっこたちの指導を陰からして楽しんでおりました。
やっぱりこうしてひとつのものを、みんなで創りあげていくのって
いいものですね~。
一生懸命頑張ったからこそ、終わったときの達成感って最高なんですよね。
ものすごいハイテンションになる。
で、家に帰って放心状態。気が抜けるというか。終わっちゃった・・・というか。
舞台のおもしろさを改めて感じています。
十年前からもっと一生懸命頑張っていれば、
きっと今もバリバリ現役で踊っていたんだろうな~と、
後悔やら寂しさやらが沸き起こりもします。
ダンサーという、早いうちから諦めてしまった私の夢。
(えぇえぇ実はそうだったんです。)
今さらどうすることもできない夢ですが、
また違う形でやれることだってあるし、死ぬまでが人生なんだから、
これからは何事にも前向きに生きていきたいと思います。
よく”やりたいことがない””興味の持てるものがない”というのを聞きますが、
ないのは「そういう何かをやりたいと思う気持ち」だと私は思っています。
本当に何かやりたいと思っているなら、いろんなことに関心を持ち、
自ら調べたり、思い切ってやってみたりと、
自分のアンテナを頼りに前向きに行動するはず。
心がついてきていないのに、興味をもてるはずがないのではないかと思うのです。
かく言う私は好奇心旺盛過ぎて困っていますが・・・。
来年のテーマ、何にしましょうか。
今年のテーマは確か「実行」・・・?だったかな?
忘れている時点でもうだめですね。
でも出来はまぁまぁ良い方だと思います。
もっとできたはずですが。きっと。
そうですね、来年は「努力」にしましょうか。
きっといろんなことで努力しなければならない年になりそうなので。
それに今まで生きてきて、努力という努力をしてこなかったがために、
たくさんの後悔をしてしまったので、
これからはその分の努力をしていかなければならないと思っています。
来年の冬を越えたあとに、素晴らしい春を迎えられるように、
これからは準備期間に突入です。
ひとつの人生の区切りとなる来年は、きっと厳しいものになるはず。
でも地道な努力を惜しまなければ、大輪を咲かせることは誰にでもできる。
準備と努力。自分との闘いでもあります。
と、ちょっと自分を追い込んでみました。
(はい、夏休みの宿題は最後の日にやる派です。)
寒くなるこの時期、自分とみっちり向かい合ってみるのに良い季節です。
この一年を振り返り、これからの一年を思う。
自分を戒め、鼓舞できるのは自分自身。
それができる人ほど、人として成長できる。
まわりを批判して自分を守るのは気が小さい証拠。
自分と向かい合う勇気をもちたいものです。
このまえ焼いたケーク・サレ。定番レシピになりました♪
11月だというのに蚊がいます。
今年の猛暑後のこの穏やかな気候で、
蚊が元気いっぱい飛び回っているらしいです。
しかも年々大きくなっている気がします。おそろしい。
さっきなんか私の右手の親指の先にとまった・・・。
とんぼかっ。
毎晩蚊取り線香を焚いているので、
おかげで自分、線香臭いっす。
久しぶりの投稿です。
相変わらず友達からコメントできないよ~という声が。
なんでや~なんでや~。
でもまぁ、こんなしょうもないブログでも読んでくれていることが
私にとってはとても嬉しおす。
ありがとうみなさん。ダンケしぇーん。
福島紀行、つらつら書いていくので、
どうか、どうか、忘れないでいて。
結構文章書くのに時間がかかりすぎる嫌いがありまして・・・。
よーく吟味しながらなのでご勘弁くださいまし。
来月はバレエの発表会があり、今はその準備をしております。
今日も合同リハ。さすがにちょっぴりピリピリしてまいりました。
でも私は友情出演で出番が少ないので、お気楽ご気楽。
ちびっこたちの指導を陰からして楽しんでおりました。
やっぱりこうしてひとつのものを、みんなで創りあげていくのって
いいものですね~。
一生懸命頑張ったからこそ、終わったときの達成感って最高なんですよね。
ものすごいハイテンションになる。
で、家に帰って放心状態。気が抜けるというか。終わっちゃった・・・というか。
舞台のおもしろさを改めて感じています。
十年前からもっと一生懸命頑張っていれば、
きっと今もバリバリ現役で踊っていたんだろうな~と、
後悔やら寂しさやらが沸き起こりもします。
ダンサーという、早いうちから諦めてしまった私の夢。
(えぇえぇ実はそうだったんです。)
今さらどうすることもできない夢ですが、
また違う形でやれることだってあるし、死ぬまでが人生なんだから、
これからは何事にも前向きに生きていきたいと思います。
よく”やりたいことがない””興味の持てるものがない”というのを聞きますが、
ないのは「そういう何かをやりたいと思う気持ち」だと私は思っています。
本当に何かやりたいと思っているなら、いろんなことに関心を持ち、
自ら調べたり、思い切ってやってみたりと、
自分のアンテナを頼りに前向きに行動するはず。
心がついてきていないのに、興味をもてるはずがないのではないかと思うのです。
かく言う私は好奇心旺盛過ぎて困っていますが・・・。
来年のテーマ、何にしましょうか。
今年のテーマは確か「実行」・・・?だったかな?
忘れている時点でもうだめですね。
でも出来はまぁまぁ良い方だと思います。
もっとできたはずですが。きっと。
そうですね、来年は「努力」にしましょうか。
きっといろんなことで努力しなければならない年になりそうなので。
それに今まで生きてきて、努力という努力をしてこなかったがために、
たくさんの後悔をしてしまったので、
これからはその分の努力をしていかなければならないと思っています。
来年の冬を越えたあとに、素晴らしい春を迎えられるように、
これからは準備期間に突入です。
ひとつの人生の区切りとなる来年は、きっと厳しいものになるはず。
でも地道な努力を惜しまなければ、大輪を咲かせることは誰にでもできる。
準備と努力。自分との闘いでもあります。
と、ちょっと自分を追い込んでみました。
(はい、夏休みの宿題は最後の日にやる派です。)
寒くなるこの時期、自分とみっちり向かい合ってみるのに良い季節です。
この一年を振り返り、これからの一年を思う。
自分を戒め、鼓舞できるのは自分自身。
それができる人ほど、人として成長できる。
まわりを批判して自分を守るのは気が小さい証拠。
自分と向かい合う勇気をもちたいものです。
このまえ焼いたケーク・サレ。定番レシピになりました♪
2010年10月24日日曜日
福島記・私の好きな場所
見よ、この空の広さ。素晴らしい。
福島に来るといつもこの空の広さに圧倒される。
いかに普段自分が狭い所で生活しているかがわかる。
わかると同時に悲しくなる。
同じ日本に住んでいるのに損しているな~、と。
こちらひいきにしている自然食店のランチ。
福島に来て何が楽しみって、
お店や近所の人たちの福島弁を聴くこと。
なんか温かいんです、響きが。
尻上がり調の話し方がかわいいんです。
ここのお店のお餅がやわらくてよく伸びて美味しい!
ランチについていて一緒に運ばれてくるのですが、
あっという間に固くなってしまうので、
我が家のメンバーはいつもはじめに食べてしまいます。
でも周りを見ると、みんなデザートにとっておいているらしく、
「あ~早く食べないとあのやわらかさは今のうちだぞ―」と
人さまのことながら気になる気になる。
こちらもひいきのカフェ。
ながーいガトーショコラ。長い意味は特にはないそう(笑)
左隅のはティラミス。
ここのスイーツ、甘さが丁度よくて好きです。
ガトーショコラの濃ゆさも私好み。
そしてドリップコーヒーが美味しい♪
ここは私にとって気持ちをリセットしたいときや、
自分と向き合う必要性を感じたときに来たいお店。
福島に来た時には外せない場所です。
そして今回新たに加わった欠かせない場所。行司ヶ滝。
写真は入口付近。
がたがたの山道を車でのぼるとこの遊歩道にたどり着きます。
この川に沿って歩き始めるとどんどん川が滝の形相になり、
遊歩道にも橋が現れます。
先頭をきって歩くいつもは天然素材の母。潔い・・・。
高さに気持ちがくじけるのを振り払うかのごとく、
腕をしっかり振って歩く姉。
父は橋の仕事をしていたので、
こんな高さはへそごま、悠々と歩きます。
私も高いのは好きです。
一見優雅に見えるこの遊歩道。
次第に牙をチラつかせます。
ここを越えたあたりから遊歩道なんてものではない、
登山と言うべきか、ある人にとってはロッククライミングか。
それは言い過ぎか。
無理やりつくったとしかいえない階段や、
自然に出来ていたので活用してみましたというような階段(岩?)があり、
一応手すり代わりにヒモやらチェーンが渡してあるのですが、
ほんと、一応のもの、良かったらつかまってみたら?とでもいうようなもの。
このアドベンチャーを乗り越えた先人たちの「グッドラック」という祈りか、
無事帰還できた感謝を表したものなのか、
こういった石の積まれたものがあります。
いや、大して意味はないのかも。
ちょっとガトーショコラ長くしてみました、というのと同じで、
これも、ちょっと石置いてみました、それに石積んでみました、
私も積んでみました、僕も~、おれも~、おいらも~、我も~、
みたいな軽いノリなのかもしれませんが・・・。
(いやいや山の神に捧げたもんか。)
頼りない紐をつたい、岩山を下りていくこと何分か・・・。
やっと滝のそばまで来ることができました。
でもこの滝、何かの工事で本来の高さの半分ほどになってしまったとか。
う~ん残念。でもこれでも結構な迫力でした。
ここから先、また山道が続きます。
昔の人はこうした山道を何日も、何カ月もかけて旅をしていたのでしょうか。
そんな風に昔の人の生活に思いを馳せながら、
自然に溶け込んでゆく自分とたそがれを感じながら、
背後から渋々ついてきた家族の疲労のオーラを感じながら、
ズンズン山道を進みます。
クマが出るかも・・・と思うほど深い山。
自然のあるがままの姿がそこにはありました。
そしてたどり着いた川。
滝からつながっている川です。
水がきれいで冷たくて、またもや癒されることしばし。
いやいやながらもズン・ズンズンズンドコ進む私についてきてくれた家族も、
気ん持ちよかんべね~とマイナスイオンを
スゴースゴーと掃除機のごとく吸いこんでいました。
聞こえてくるのは自然の音のみ。
ヒトがいなければ、こんなに地球は静かなんですね。
心地よい風の音、鳥の鳴き声、川の水の音。
目を閉じてその中に立つと、
自分の内面をじっと見つめることができます。
そして全てが浄化され、
スッと気持ちが清くなるのを感じるのです。
自然なくしてヒトはいられません。
それは他の生物、動物だって同じ。
自然に囲まれ、癒されて、
改めて自然保護の大切さを微力ながらも伝えていきたいと思いました。
福島に来るといつもこの空の広さに圧倒される。
いかに普段自分が狭い所で生活しているかがわかる。
わかると同時に悲しくなる。
同じ日本に住んでいるのに損しているな~、と。
こちらひいきにしている自然食店のランチ。
福島に来て何が楽しみって、
お店や近所の人たちの福島弁を聴くこと。
なんか温かいんです、響きが。
尻上がり調の話し方がかわいいんです。
ここのお店のお餅がやわらくてよく伸びて美味しい!
ランチについていて一緒に運ばれてくるのですが、
あっという間に固くなってしまうので、
我が家のメンバーはいつもはじめに食べてしまいます。
でも周りを見ると、みんなデザートにとっておいているらしく、
「あ~早く食べないとあのやわらかさは今のうちだぞ―」と
人さまのことながら気になる気になる。
こちらもひいきのカフェ。
ながーいガトーショコラ。長い意味は特にはないそう(笑)
左隅のはティラミス。
ここのスイーツ、甘さが丁度よくて好きです。
ガトーショコラの濃ゆさも私好み。
そしてドリップコーヒーが美味しい♪
ここは私にとって気持ちをリセットしたいときや、
自分と向き合う必要性を感じたときに来たいお店。
福島に来た時には外せない場所です。
そして今回新たに加わった欠かせない場所。行司ヶ滝。
写真は入口付近。
がたがたの山道を車でのぼるとこの遊歩道にたどり着きます。
この川に沿って歩き始めるとどんどん川が滝の形相になり、
遊歩道にも橋が現れます。
先頭をきって歩くいつもは天然素材の母。潔い・・・。
高さに気持ちがくじけるのを振り払うかのごとく、
腕をしっかり振って歩く姉。
父は橋の仕事をしていたので、
こんな高さはへそごま、悠々と歩きます。
私も高いのは好きです。
一見優雅に見えるこの遊歩道。
次第に牙をチラつかせます。
ここを越えたあたりから遊歩道なんてものではない、
登山と言うべきか、ある人にとってはロッククライミングか。
それは言い過ぎか。
無理やりつくったとしかいえない階段や、
自然に出来ていたので活用してみましたというような階段(岩?)があり、
一応手すり代わりにヒモやらチェーンが渡してあるのですが、
ほんと、一応のもの、良かったらつかまってみたら?とでもいうようなもの。
このアドベンチャーを乗り越えた先人たちの「グッドラック」という祈りか、
無事帰還できた感謝を表したものなのか、
こういった石の積まれたものがあります。
いや、大して意味はないのかも。
ちょっとガトーショコラ長くしてみました、というのと同じで、
これも、ちょっと石置いてみました、それに石積んでみました、
私も積んでみました、僕も~、おれも~、おいらも~、我も~、
みたいな軽いノリなのかもしれませんが・・・。
(いやいや山の神に捧げたもんか。)
頼りない紐をつたい、岩山を下りていくこと何分か・・・。
やっと滝のそばまで来ることができました。
でもこの滝、何かの工事で本来の高さの半分ほどになってしまったとか。
う~ん残念。でもこれでも結構な迫力でした。
ここから先、また山道が続きます。
昔の人はこうした山道を何日も、何カ月もかけて旅をしていたのでしょうか。
そんな風に昔の人の生活に思いを馳せながら、
自然に溶け込んでゆく自分とたそがれを感じながら、
背後から渋々ついてきた家族の疲労のオーラを感じながら、
ズンズン山道を進みます。
クマが出るかも・・・と思うほど深い山。
自然のあるがままの姿がそこにはありました。
そしてたどり着いた川。
滝からつながっている川です。
水がきれいで冷たくて、またもや癒されることしばし。
いやいやながらもズン・ズンズンズンドコ進む私についてきてくれた家族も、
気ん持ちよかんべね~とマイナスイオンを
スゴースゴーと掃除機のごとく吸いこんでいました。
聞こえてくるのは自然の音のみ。
ヒトがいなければ、こんなに地球は静かなんですね。
心地よい風の音、鳥の鳴き声、川の水の音。
目を閉じてその中に立つと、
自分の内面をじっと見つめることができます。
そして全てが浄化され、
スッと気持ちが清くなるのを感じるのです。
自然なくしてヒトはいられません。
それは他の生物、動物だって同じ。
自然に囲まれ、癒されて、
改めて自然保護の大切さを微力ながらも伝えていきたいと思いました。
2010年10月20日水曜日
はるきち
福島のお話をする前にこの日が来てしまいました。
今日は、以前少しお話した我が家の”森の王様”の命日です。
私が5歳のときに家族になった森の王様も、
当時はこんなに小さかった。
ピンクの鼻をヒクヒクさせながらフラフラ放浪していたおちびさん。
ぎゃあぎゃあ外で遊んでいた私と姉たちと近所の子供たち。
会社で仕事中だった父は飼うのに反対。
しかし、「犬も飼えない家なんてっ!!」と電話越しに噛みついた母のおかげで、
父もこのおちびを飼うことを許してくれ、
私たちはこの素晴らしい犬とたくさんの思い出をつくることができ、
生き物に対する愛情をも、もつことができた。
ハルキチと名付けられた彼はとんでもないいたずらっ子で、
体もだいぶ大きくなってきた頃、
私が通う近くの幼稚園の園庭に入り込んで疾走。
帰りの時間で全園児が園庭に出ていて、
泣きわめく園児やおもしろがって叫ぶ園児で一時騒然。
私と母は顔を真っ赤にしながら追っかけまわすも追い付けず、
ハルキチはまるでアッカンベーをするように走りまくる。
とにかくビュンビュン走りまくる姿を私は今でもよく覚えている。
でも最後は、幼稚園の先生が持ってきてくれたチーズおかきで
あえなく確保。ただの食いしん坊万歳。
脱走の天才でもあった彼は小さいころからしょっちゅう家出。
見知らぬサンダルが庭に転がっていることもよくあったらしく、
母はそれを慌てて回収し、そっと捨てていたという。
きっと近所では「サンダル紛失の怪」が多発していたことだろう。
彼はふらりと小学校に遊びにきたこともあったし、
鎖ごと家を出た時は道路の側溝に鎖がからまり、
身動きとれずにいたところを近所の人に助けられ、
一晩泊めてもらったこともあった。
脱走後すぐに見つけ、こちらがジリジリ近づいていくと、
距離を測りながら後ずさりし、
ッシャ―――!!とまた逃げるときもあれば、
ヘコヘコしながら「あいすんません、あいすんません」とばかりに
こちらのご機嫌をとろうと試みることもあった。
それでおとなしく家に帰ってきたと思ったら、
その足で裏口からヘラヘラ出ていこうとしたり・・・。
そのときは「キ――――――ッ!!!」とまぁ、
なんだかこちらが遊ばれているような感じで腹立たしかったものだ。
こんなに脱走を繰り返すのは、彼が単にアクティブ犬だっただけなんです。
朝日新聞のののちゃんに出てくるポチのように、
散歩嫌いのインドア派の犬も世の中にはいるのは確かなんですが、
(昔近所のアパートに住んでいた犬は、飼い主が外に連れ出しても、
ジッッッと微動だにしなかった・・・。)
我がハルキチは散歩用のリードをちょっと持っただけで大騒ぎ。
庭中を駆け回り、早く門を開けやがれ~~~と助走をつけまくる。
で、開けたとたんダ――――ッシュ。
ゴミの日は大変。手にしたゴミ袋がハルキチとともに吹っ飛んでいく。
ある日私は調子に乗ってハルキチと一緒に駆け出して捻挫。
これはただのばか。
散歩から帰ってこれずに学校に遅刻しそうになったことも・・・。
すでに登校を始めている友達に、
「学校行かないの~~~?」と言われたときの恥ずかしさたるや。
「行くよっ!!!」と顔を真っ赤にした小学生の私。
ズリズリズリズリはるきちを引っ張ってくることなんて当たり前だった。
いつも同じ場所で途端に足取りが重くなって、そこに根を生やす。
どんなにこっちが引っ張ろうとしても、
それこそジッッッ・・・・・として動かず、
目だけはこちらにジロッ・・・と動かす。
勘弁してくれ~~~と涙目になるのはいつもこっちだった。
でもそのうち抱っこされるのが大嫌いというハルキチの弱点をついて、
わざと抱っこしようとしてハルキチを振り回して帰宅させることもあった。
傍から見ればなんとも滑稽なヒトとイヌだったろう・・・。
あー疲れた。
こんな具合に、とにかく彼の話になると尽きることがない。
まだまだ逸話は残っているけれど、ホントに書ききれない。
今日話したことだって、かなりかいつまんでいるし。
そんなハルキチも大人になるにつれて落ち着きさが出て、
堂々と深みのある、貫禄たっぷりの犬になり、
(そこでまた色々笑える話がたくさんあるのだけど割愛。
とてもじゃないけど割愛。目・肩・腰が限界。)
そしていつのまにかおじいちゃんになっていた。
亡くなる1年ほど前から足腰が弱り、私の介護生活も始まった。
あんなに元気だったのに、
どんどん痩せて小さくなり、体は軽くなっていった。
毎晩隣で一緒に寝て、夜中の徘徊にも手を貸し、
徘徊もできなくなると、床ずれができないように定期的に体の向きを変えてやり、
母と体をさすってあげたし、話しかけたり、音楽を聴いたり・・・・・
自分にできることはやったつもりなのに、
あとからあとからもっと何かしてあげられたんじゃないかとか、
もっとこうしてあげればよかったとか、
後悔の気持が溢れてくる。
これを書く今も、涙がとまらない。
18年間、いつも一緒だった。大事な家族だった。
母に怒られて泣く私の顔を、ずっとそばでぺろぺろ舐めて慰めてくれたこともあった。
最後の晩、足をさすってあげてたら春吉が私をじーーーっと見つめていた。
もうほとんど見えていないはずなのに、まるで見えているかのように見つめていた。
そしてそのうち小さな寝息を立てながら眠ったので、私は部屋の電気を消した。
いつものように、おやすみ春さんと声をかけてから。
それが最後の晩だった。
春吉を介護していた頃、夜になると一緒に聴いていたピアノ曲のCDを、
6年経った今も聴けないでいる。
私が気に入っていたこのCDを、いつかまた聴ける日は来るのだろうか。
今まで、一日たりともハルキチのことを忘れたことはない。
6年という年月が長いのか、短いのか、それすらもよくわからないでいる。
春吉は私の心の中にいて、いつも支えてくれているから。
「人は、亡くなった人に支えられて生きている」
私は今日も手を合わせて、守り神に語りかける。
今日も一日をありがとう。
そばで見守ってくれて、ありがとう。
今日は、以前少しお話した我が家の”森の王様”の命日です。
私が5歳のときに家族になった森の王様も、
当時はこんなに小さかった。
ピンクの鼻をヒクヒクさせながらフラフラ放浪していたおちびさん。
ぎゃあぎゃあ外で遊んでいた私と姉たちと近所の子供たち。
会社で仕事中だった父は飼うのに反対。
しかし、「犬も飼えない家なんてっ!!」と電話越しに噛みついた母のおかげで、
父もこのおちびを飼うことを許してくれ、
私たちはこの素晴らしい犬とたくさんの思い出をつくることができ、
生き物に対する愛情をも、もつことができた。
ハルキチと名付けられた彼はとんでもないいたずらっ子で、
体もだいぶ大きくなってきた頃、
私が通う近くの幼稚園の園庭に入り込んで疾走。
帰りの時間で全園児が園庭に出ていて、
泣きわめく園児やおもしろがって叫ぶ園児で一時騒然。
私と母は顔を真っ赤にしながら追っかけまわすも追い付けず、
ハルキチはまるでアッカンベーをするように走りまくる。
とにかくビュンビュン走りまくる姿を私は今でもよく覚えている。
でも最後は、幼稚園の先生が持ってきてくれたチーズおかきで
あえなく確保。ただの食いしん坊万歳。
脱走の天才でもあった彼は小さいころからしょっちゅう家出。
見知らぬサンダルが庭に転がっていることもよくあったらしく、
母はそれを慌てて回収し、そっと捨てていたという。
きっと近所では「サンダル紛失の怪」が多発していたことだろう。
彼はふらりと小学校に遊びにきたこともあったし、
鎖ごと家を出た時は道路の側溝に鎖がからまり、
身動きとれずにいたところを近所の人に助けられ、
一晩泊めてもらったこともあった。
脱走後すぐに見つけ、こちらがジリジリ近づいていくと、
距離を測りながら後ずさりし、
ッシャ―――!!とまた逃げるときもあれば、
ヘコヘコしながら「あいすんません、あいすんません」とばかりに
こちらのご機嫌をとろうと試みることもあった。
それでおとなしく家に帰ってきたと思ったら、
その足で裏口からヘラヘラ出ていこうとしたり・・・。
そのときは「キ――――――ッ!!!」とまぁ、
なんだかこちらが遊ばれているような感じで腹立たしかったものだ。
こんなに脱走を繰り返すのは、彼が単にアクティブ犬だっただけなんです。
朝日新聞のののちゃんに出てくるポチのように、
散歩嫌いのインドア派の犬も世の中にはいるのは確かなんですが、
(昔近所のアパートに住んでいた犬は、飼い主が外に連れ出しても、
ジッッッと微動だにしなかった・・・。)
我がハルキチは散歩用のリードをちょっと持っただけで大騒ぎ。
庭中を駆け回り、早く門を開けやがれ~~~と助走をつけまくる。
で、開けたとたんダ――――ッシュ。
ゴミの日は大変。手にしたゴミ袋がハルキチとともに吹っ飛んでいく。
ある日私は調子に乗ってハルキチと一緒に駆け出して捻挫。
これはただのばか。
散歩から帰ってこれずに学校に遅刻しそうになったことも・・・。
すでに登校を始めている友達に、
「学校行かないの~~~?」と言われたときの恥ずかしさたるや。
「行くよっ!!!」と顔を真っ赤にした小学生の私。
ズリズリズリズリはるきちを引っ張ってくることなんて当たり前だった。
いつも同じ場所で途端に足取りが重くなって、そこに根を生やす。
どんなにこっちが引っ張ろうとしても、
それこそジッッッ・・・・・として動かず、
目だけはこちらにジロッ・・・と動かす。
勘弁してくれ~~~と涙目になるのはいつもこっちだった。
でもそのうち抱っこされるのが大嫌いというハルキチの弱点をついて、
わざと抱っこしようとしてハルキチを振り回して帰宅させることもあった。
傍から見ればなんとも滑稽なヒトとイヌだったろう・・・。
あー疲れた。
こんな具合に、とにかく彼の話になると尽きることがない。
まだまだ逸話は残っているけれど、ホントに書ききれない。
今日話したことだって、かなりかいつまんでいるし。
そんなハルキチも大人になるにつれて落ち着きさが出て、
堂々と深みのある、貫禄たっぷりの犬になり、
(そこでまた色々笑える話がたくさんあるのだけど割愛。
とてもじゃないけど割愛。目・肩・腰が限界。)
そしていつのまにかおじいちゃんになっていた。
亡くなる1年ほど前から足腰が弱り、私の介護生活も始まった。
あんなに元気だったのに、
どんどん痩せて小さくなり、体は軽くなっていった。
毎晩隣で一緒に寝て、夜中の徘徊にも手を貸し、
徘徊もできなくなると、床ずれができないように定期的に体の向きを変えてやり、
母と体をさすってあげたし、話しかけたり、音楽を聴いたり・・・・・
自分にできることはやったつもりなのに、
あとからあとからもっと何かしてあげられたんじゃないかとか、
もっとこうしてあげればよかったとか、
後悔の気持が溢れてくる。
これを書く今も、涙がとまらない。
18年間、いつも一緒だった。大事な家族だった。
母に怒られて泣く私の顔を、ずっとそばでぺろぺろ舐めて慰めてくれたこともあった。
最後の晩、足をさすってあげてたら春吉が私をじーーーっと見つめていた。
もうほとんど見えていないはずなのに、まるで見えているかのように見つめていた。
そしてそのうち小さな寝息を立てながら眠ったので、私は部屋の電気を消した。
いつものように、おやすみ春さんと声をかけてから。
それが最後の晩だった。
春吉を介護していた頃、夜になると一緒に聴いていたピアノ曲のCDを、
6年経った今も聴けないでいる。
私が気に入っていたこのCDを、いつかまた聴ける日は来るのだろうか。
今まで、一日たりともハルキチのことを忘れたことはない。
6年という年月が長いのか、短いのか、それすらもよくわからないでいる。
春吉は私の心の中にいて、いつも支えてくれているから。
「人は、亡くなった人に支えられて生きている」
私は今日も手を合わせて、守り神に語りかける。
今日も一日をありがとう。
そばで見守ってくれて、ありがとう。
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