2011年4月27日水曜日

笑顔 Smile

先週の金曜日に、旧騎西高校へボランティアに行ってきました。
私が働くスタバと同じエリア内にある店舗が協力して、
避難されている双葉町の方にホットコーヒーの差し入れをしてきました。

以前さいたまスーパーアリーナでも、アリーナ近くの店舗の方が
コーヒーをふるまってくれたとのことで、
多くの方が「また来てくれたんですね!」と喜んでくれました。

避難生活中ということで、どう接したらいいのだろうかとか、
直前までいろいろ考えてしまいましたが、
実際行ってみるとみなさんのとても元気な姿がたくさん見られたので、
いつもの通り、スタバの店員としての応対ができました。

寒い日だったこともあって、本当にたくさんの方がコーヒーを求めて集まってくださり、
用意した分があっという間になくなってしまい、
急遽一番近い店舗からコーヒーを追加で淹れて運び入れるほどでした。

おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんはもちろん、
若夫婦、中高生、小学生まで、とにかく老若男女問わず、
みんなが温かいコーヒーを手に、ニコニコと笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。

避難所とはいえ、そのあたたかい満面の笑みがあるためか、
暗く寂しい印象はまるで感じられませんでした。

「缶コーヒーばっかりだったから、やっぱりちゃんと淹れたコーヒーはうまいね!」
「もう一杯ちょーだい!」
「あ~温まったよ~。ごちそうさま!」
「もうちょっとお砂糖・・・あ、甘くなった、おいしい。」
「お父さんとお母さんの分ももらっていいですか?」

でもその笑顔の裏には、つらく悔しい思いが秘められていると思うと胸が張り裂けそうになり、
必死で笑顔を返しては、何杯も何杯もコーヒーをカップに注いでました。

たった何時間かの作業で、私ができたことといえばほんのわずかだったに違いありません。
それでも、一杯のコーヒーを通して少しでも心に温かさを感じていただけたならと思うし、
私自身、たくさんの笑顔に出会えたことが本当に嬉しかったですし、
その一人ひとりの笑顔を思い出しては、今でもその身を案じながら、今日もお店に立っています。

原発という自分たちにはどうしようもないことだからこそ、胸の内に広がる不安や怒りは
果てしないものだと思います。
その思いが早く晴れることを祈ってやみません。

今回のボランティアに参加して、笑顔のもつものすごい力を改めて感じました。
笑顔ひとつでこんなにも雰囲気は変わるし、人も変われるんですね。

高速にあるお店には、ほぼ毎日のように救援の消防隊員の方や、
自衛隊の方がいらっしゃいます。
その方たちを支えるためにも、私たち店員はいつでも笑顔で迎えています。
会話をして笑顔になり、ドリンクを受け取ってさらに笑顔になってくれると、
あ~今日も少しは役に立てたかな・・・と、自分で自分の再確認をしてしまいます。

人はだれでも必ず誰かのためになっている。
人と人との絆って、そういうことでもあるんでしょうね、きっと。



April,22
  I did volunteer work in former Kisai high school for people who evacuated from Futaba-machi, Fukushima.
As a member of Starbucks Coffee Japan, we treated them to hot coffee. It was a very cold day so they seemed to be really happy to drink hot one. Men and women of all ages enjoyed our coffee, and I was glad to see that.
  I think that there are sad, angry, disappointed feeling of bottom of their hearts. But they've never showed it to us. They were smiling, laughing all the time. I was really surprised and felt my heart warming. I'm sure that they are the one who should be respected.
  This volunteer work gave me some power of smile. Just smile, we can change the atmosphere, someone's feeling, and also ourselves. Just smile...

2011年4月14日木曜日

春の祈り

春です。
最後の文章が去年の11月。
あれから5カ月、いろいろありました。
本当なら福島での生活をいろいろと載せたかったのですが、
先月に起きた大震災と原発事故で、
これからの予定を変更せざるを得なくなりまして、
また埼玉で新しい一歩を踏み出したところです。

あの震災さえなければと思う人はたくさんいると思います。
でも不可抗力である自然が相手では、怒りの矛先さえありません。

今も不自由な生活を余儀なくされている方を思うと、言葉もありません。
新聞やテレビ、ラジオなどのメディアを通してその惨状を見聞きし、
ただただ涙をこぼす毎日です。

思えば震災前には中東で民主化デモが起き始め(今も続いていますね)、
そしてテレビで「戦場のピアニスト」を見たということもあって、
そのときの私は”生きるとは何だろう”と思いつめているところがありました。

地球という同じ場所に生まれてきたのに、
その時代や国、いろんな環境・状況で、こんなにも人生が変わってしまう。
自分はどうして生きているんだろう、何のために生かされているんだろう。
生きるとは・・・


そして3月11日。


この日を境に改めて思うのは、生きるとは無常ということ。
いつ何が起き、何を失くし、何が変わっていくのかわからない世を、
自らも変わり、命の続く限り、渡っていくということ。

「慣れ」という敵のせいで、なかなか難しいこともありますが、
毎日をよく生きよう、そう思います。
だからといって、しっかりきっちり、という息苦しいものではなく、
一瞬でも笑顔になれる瞬間があればいいなと思います。



今日こんな言葉を聞きました。
「もし明日が地球最後の日だとしても、私は今日花の種を蒔きます」

どんなにつらく、苦しくても、終わらないものなんてない。
ただ前を向いて歩くのみ。
謙虚だけど、凛とした東北の人のひたむきな姿が心に浮かびました。



すでに舞い始めた桜の花が、空の上からも見えることを祈ります。