2011年4月14日木曜日

春の祈り

春です。
最後の文章が去年の11月。
あれから5カ月、いろいろありました。
本当なら福島での生活をいろいろと載せたかったのですが、
先月に起きた大震災と原発事故で、
これからの予定を変更せざるを得なくなりまして、
また埼玉で新しい一歩を踏み出したところです。

あの震災さえなければと思う人はたくさんいると思います。
でも不可抗力である自然が相手では、怒りの矛先さえありません。

今も不自由な生活を余儀なくされている方を思うと、言葉もありません。
新聞やテレビ、ラジオなどのメディアを通してその惨状を見聞きし、
ただただ涙をこぼす毎日です。

思えば震災前には中東で民主化デモが起き始め(今も続いていますね)、
そしてテレビで「戦場のピアニスト」を見たということもあって、
そのときの私は”生きるとは何だろう”と思いつめているところがありました。

地球という同じ場所に生まれてきたのに、
その時代や国、いろんな環境・状況で、こんなにも人生が変わってしまう。
自分はどうして生きているんだろう、何のために生かされているんだろう。
生きるとは・・・


そして3月11日。


この日を境に改めて思うのは、生きるとは無常ということ。
いつ何が起き、何を失くし、何が変わっていくのかわからない世を、
自らも変わり、命の続く限り、渡っていくということ。

「慣れ」という敵のせいで、なかなか難しいこともありますが、
毎日をよく生きよう、そう思います。
だからといって、しっかりきっちり、という息苦しいものではなく、
一瞬でも笑顔になれる瞬間があればいいなと思います。



今日こんな言葉を聞きました。
「もし明日が地球最後の日だとしても、私は今日花の種を蒔きます」

どんなにつらく、苦しくても、終わらないものなんてない。
ただ前を向いて歩くのみ。
謙虚だけど、凛とした東北の人のひたむきな姿が心に浮かびました。



すでに舞い始めた桜の花が、空の上からも見えることを祈ります。

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